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とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは 名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによつて
きみはぼくらによつて ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ
(吉本隆明)
「イリヤの空UFOの夏」に代わる新たなるマスターピースがここに誕生したことを素直に祝いたい。傑作。
古色蒼然とした設定なのに、それが思い切り「今」を描いてる ところに愕然とさせられる。普通に考えたら「被差別民の傭兵と深窓のプリンセスの恋って何十年前の設定?」となるはず。少なくとも10年前にこの設定を真面目 にやれたかどうか。
しかし、今読むとこの作品はぜんぜん「古色蒼然」とした印象を受けない。むしろこれは明 らかに「今」を射程に置いている。端的に言ってしまえば主人公はオタクのフリーター、お姫様はオタクの愛してやまない「少女(萌えキャラ)」である。
現代日本がネオ階級社会に入り始めているだとか、フリーターを「半人前」として見る風潮は人種差別と大して変わらないよねとか、そうした時代の変化はある程度はわかってい たつもりだったが、この小説を読んで「こんなにも古色蒼然とした時代に俺達は戻っちゃってるのか」と改めて愕然とさせられた。
しかし、愕然としたところで現実にそうなのだから仕方ない。もはや「貧乏」がネタになる時代は過ぎ、ガチの「貧 乏」と「差別」に戦いを挑まなければならない時代が始まっているのである。「イリヤの空」の主人公のように「オトナたちに守られて美少女に戦いを 任せている」余裕もなくなったオタクは、二次元美少女という自らのイコンを守るため本格的に「戦うオトコノコ」とならなければならなくなったのである。
「全てが予定調和」という批判はありえるだろう。しかし、斯様に完成度が高く不純物のない予定調和であれば、もう良いのではないか。 「ローマの休日」も予定調和ではあるが、それを批判の対象とするだろうか。