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ロバート ・ライシュの「暴走する資本主義(Supercapitalism)」の要約
原著「Supercapitalism」
http://www.amazon.co.jp/Supercapitalism-Robert-B-Reich/dp/1848310072/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=english-books&qid=1214879274&sr=8-2
日本語版「暴走する資本主義」
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492443517/250-0367643-3261815?SubscriptionId=1CR2KCSDNRVJY76AMX82
序章 パラドックス
○資本主義と民主主義は別のシステムだ(もちろん資本主義をやるためには民主主義のほうがいい)
○民主主義とは「社会全体の利益に繋がる仕組みやルールを市井の人が協力して決めていくシステム」のことだ
○1970年代以前の資本主義は今の資本主義とは大分違っていた(第一章)
○資本主義は1970年代以降変化し、企業の競争力が増大し効率化・グローバル化が進行した超資本主義になった(第二章)
○その過程で我々は「消費者」「投資家」としての力を大きく伸ばしてきたけど、「市民」として公共のルールやトレードオフを決める力をかなり奪われてる(第三章)
○つまり資本主義が超資本主義に変化していく中で、民主主義の力が弱まってしまった(第四章)
○昔に比べて政治家が極端にあくどくなってるとか、企業家達が極端に強欲になってるというわけではない。彼らの周りの環境が変わってることが大きい(第四章)
○企業に社会的責任を求めるだけでは問題は解決しない(第五章)
○「企業」という実体のない契約書の束ではなく、生身の存在である「我々自身」が主体的に物事を決めるべき。「消費者」「投資家」としての価値観だけではなく、「市民」としての価値観で社会や経済のルールを決めていかなきゃいけない(第六章)
○そのためにうつことができる手はは色々あるけど、それはみんなが思ってるものと大分違う。(第六章)
第一章 「黄金時代」のようなもの
○1970年代まで、アメリカは「民主的資本主義」と呼ぶべき社会だった。
○大企業が大量生産でモノを大量に売り、生産性を飛躍的に向上させた時代だった。
○同じ産業同士で陰に日向に協調したので競争は激化せず、価格を下げなくてもよくて収益が高かった。
○労働者はひとつの組合に組織されていたので、給料も福利厚生も「ひとまとめ」に決められていた。
○企業にとっても「ひとまとめ」で交渉できるのはラクだったので、労使間は結構うまくいっていた。
○主要サービスの価格は政府に規制されていて、競争は激化せず、価格を下げなくても収益が上がった。
○大企業の経営者には「企業に収益をもたらす」だけではなく、社会的責任を担う「企業ステーツマン」としての役割も求められた。
○このシステムの長所は数千万の安定した雇用と福利厚生が確保されていること、利益が広範に分配されること、それが支出に回って経済が安定すること。
○中間層・中流階級が増加した結果、政治的にも安定した。この時代は「黄金時代」であるかのように思える。
○しかし、それは見せ掛けに過ぎない。このシステムには短所もたくさんあった。
○まず競争を引き起こさず効率性が犠牲にされ、イノベーションもあまり起きないこと。
○それに、このシステムは機会均等という点でも問題があった。黒人、女性、貧困層などは不平等な扱いを受けており、システムの恩恵にあずかれなかった。
○日本やヨーロッパでもアメリカとは違うものの、似たシステムの社会が実現していた。
第二章 「超資本主義」への道
○冷戦時の軍事開発は様々な新技術を生み出した。その技術が民間で使用されるようになった時、資本主義は超資本主義へと変化し始めた。
○コンテナ、貨物船、光ファイバー、人工衛星、コンピューターは物資の輸送コスト、通信コストなどを大幅に引き下げ、他業種への参入障壁を押し下げた。
○これによって各業種に新規参入企業が増え、競争が一挙に激化した。
○金融規制緩和によって、投資信託やファンドが大規模化し、企業は株主に高収益を上げるように圧力を加えられるようになった。
○「民主的資本主義」は終わりを迎え、メインプレーヤーだった大企業、労組、政府などは力を失った。
○権力は消費者と投資家が力を握る「超資本主義」の時代がやってきた。
第三章 我々の中にある二面性
○私たち個人個人はより「お買い得な品物」を求める消費者であり、よりリターンの高い投資をしようとする投資家である。
○ウォルマートのような大手スーパーは、「消費者としての我々」の欲求を統合し、巨大なパワーを持つ企業となった。
○ウォルマートは「お買い得の品物を求める私たち」をバックにして値引きを要求し、コストを圧縮する。
○ウォール街や投資ファンドは「投資家としての我々」の欲求を統合し、巨大なパワーを持つようになった。
○年金基金や株式投資で「より高いリターンを求める私たち」をバックにして、企業に高収益を上げろ、コストを削減しろと要求する。
○企業は激しい競争に加えて、こうした「消費者・投資家」の圧力を常に受けている。
○結果として企業はそれまで担っていた福利厚生・雇用・賃金などを切り詰めていくことになった。
○「市民」としての私たちは「ひとりひとりの福利厚生・雇用は大事」と思うが、「消費者・投資家」としての私達はそれと逆のことを企業にするよう圧力をかける。
○だからといってひとりひとりが「市民的価値観と相反する消費・投資から手を引く」というのは不可能だろう。
○それよりも「市民」として持っている価値観を守るための社会的ルール・規則を作っていくほうがよい。
○労働法、有価証券取引税、最低賃金保証、健康保険など様々なルール・規則があり得る。
○「消費者・投資家」としての幸せだけではなく「市民」としての幸せも実現できる社会は、こうしたルールをどう決めるかによって違ってくる。
第四章 飲み込まれる民主主義
○「消費者・投資家」としての我々の発言権や権益が企業やファンドによって拡大していったことに比べると、「市民」としての私達の声はどんどん縮小してる。
○これは超資本主義の下で企業が合理的な行動をした結果起きていること。企業は競争に優位に立つために、お金を集めてロビイストに払って政治に働きかける。
○超資本主義の下で競争が激しくなり、株主・顧客の要求が高まれば高まるほど、企業は政治へのロビー活動にお金をかけるようになり、その金額は拡大の一途。給料が高いので議員経験者・元政府職員などはこぞってロビイストになり、効果的な働きをする。
○政策決定には、こうした企業・産業団体の影響が色濃く反映されることになる。「専門家」と呼ばれる人たちも、こうした企業・産業団体の影響の下で政策提言を行う場合が多い。メディアも顧客企業寄りの広報専門家の言うことをそのまま流したりする。
○ロビー活動の世界も競争が激化したため、参入するのにお金がかかるようになってしまった。政治的争いに参加するにはカネが必要であり、NGOだとか市民団体ごときではとてもではないが、企業や産業団体のようなカネをかけたロビー活動に太刀打ちできない。
○同じ理屈で労働組合の政治的影響力も低下している。議員達を動かすロビー活動にカネがかかるようになった結果、労働組合は労働問題に直接関係する問題以外に影響力を保持できなくなってしまった。
○無論、ある問題については大規模に報道がなされ「市民の怒り」が火を噴き、大きな世論が生れる、ということがある。しかし、そうした場合も実は「パ フォーマンス」的な解決劇が行われて、実質的には企業の利益に反さないような調整がしっかり行われるのが常。公聴会で議員が社会的な問題を起こした企業を 激しい言葉で叱責する様子とかがテレビで流れたりするけど、その後に議会で何が決まったかちゃんとチェックしてみると実はなんにもしてない、なんてことが よくある。
○そのため「市民」としての私たちが「社会的平等」だとか「公平さ」とかを求めようとしても、政治を動かすのはかなり難しくなってるのが現状。
○「消費者・投資家」としての私たちには、ちゃんとした代表がいる(大企業・ファンド)んだけど、「市民」としての私達の代表は実質的にいなくなってし まってる。議員はいるけど、ロビー活動資金の高騰・ロビイスト達の活動の活発化で、彼らは「市民」としての私たちを代表する存在ではなくなっている。
○これは別に現状を正当化したり非難したりしているわけではなく「現状を説明」しているだけ。私達の民主主義は、超資本主義に飲み込まれて現状ではこうしたものになってしまっている。同じ傾向は他の国でも見られる。
○私たち自身の選択によって現状の「民主主義」のあり方も変えていくことができるのも事実。
第五章 民主主義とCSR
○CSR(企業の社会的責任)は結構なことだけど、そもそもな部分でおかしい。
○企業は「責任」というけれど「企業の社会的責任」を定義した法律や規則に基づいたもので動いているわけではない。
○投資家や消費者が「社会的責任を果たさない企業」にカネを出さなくなるだろ、というけれど現実にはそうした行動は一時的なものに終わることが多い。
○第四章で述べたように企業はCSRといいつつも、「公共の利益」よりも、自分達が競争で優位に立つことができる法律・規則・規制をロビー活動で実現させている。
○CSRの考え方は、こうした企業の矛盾した行動から目をそらさせてしまう。大切なのは我々が決めることのできないCSRの規定ではなく、我々の決めることができるはずの「公共の利益」に基づいた法律・規則が制定されることだ。
○CSRは、超資本主義の下で我々の「民主主義」が第四章のような形に変質していることから目を逸らさせてしまう。
○それにCSRは企業が「道徳的に振舞う主体」として「個人」と同じものであるかのように認識させる点でもよろしくない。「企業」は「個人」とはそもそも 違う。「企業」が「責任を果たす」という表現は、企業があたかも「個人」であるかのように思わせるが、それは見せ掛けにすぎない。
第六章 超資本主義への処方箋
○斯様な現状下で、どのように「民主主義」をより良い形に変化させることができるか、政策提言を行いたい。
○政策決定のシステムを改めるためには色々な方法がある。たとえば「要職の選挙には公的資金を活用する」「放送局が選挙広告を無料で流す(アメリカは候補 者のテレビCMに莫大なカネをかけるので)」「ロビイストが顧客企業から献金を集めるのを禁止する」「企業・経営幹部から議員への寄贈・接待の禁止」「議 員経験者が退任後5年間ロビー活動をするのを禁止」「ロビイストの活動収支公開」「公聴会で発言する専門家は利害関係者との金銭関係を公開」などなど。こ うした法律を、きちんと運用できるだけの監視も必要。
○ただし、こうした改革を実際に行う当事者が「ロビイストから金を貰ってる議員」だから、実際にやるのはかなり大変。
○とにかく民主主義のあらゆるところに「超資本主義」が侵入しているのが現状なので、「どこまで侵入できるか」をもっときちんと決めてルールにしよう。
○企業だって際限なくカネを政治家に渡したいわけではないから、こうしたルール設定はある程度歓迎してくれる。企業間の献金競争・ロビー活動競争の「休戦協定」を作らせるのが大事。
○あと、改革を行うためには「現行制度のどこが問題か」をみんながきちんと理解することができることが必要。
○問題が起きた時に現行の法律・規制がどうなっているのかを考えられるようにしよう。企業の失敗をやたらと攻撃する政治家・運動家や、「我々は社会的責任 を果たしてる」と盛んにアピールする企業や、ロビイストの理屈なんかを安易に信じてはいけない。メディアも、きちんと「何が問題点か」を明確に知らせるべ き。
○そして特に強調すべきこととして「企業は人ではない」ということを認識しよう。企業というのは法的擬制であり、契約書の束以外の何物でもない。企業は、 「契約書の束」異常の発言の自由、法の適正手続き、政治的な権利を持つべきではない。そういったものを持つのは「生身の人間」である。
○企業を「擬人化」し、あたかも一個の「人格」であるかのように捉える考え方は一般的に見られる。その結果、間違った義務・権利が企業に求められてしまう。
○たとえば法人税。法人税は企業をひとつの「個人」であるかのように見て税をとっている。そのせいで企業側も「民主主義のプロセスに企業は参加できる」と考えてしまう。しかし、税金を払ってるのは実際は「企業」ではなく消費者や株主や従業員ではないか。
○というわけで、法人税は非効率的で公正なものではないのでやめたほうがいい。「生身の人間」から効率的・公正に税金を取る方法があるはず。
○たとえば、法人税を廃止し、企業が株主を代表して獲得した収益全体についてそれぞれ株主が個人所得として税金を払う、といった方法がありえる。
○これによって全ての「法人所得」は「個人所得」として扱われる。
○また、企業が不正をした時に「企業体が刑事責任を問われる」というのもおかしい。企業があたかも「人格」を持って悪事を働いたかのようにみなすことになるわけで、実際はそんなことはない。
○アメリカに本社を構える企業が海外に労働力を求めたり、収益を他国に預けることを批判したり罰したりするのも意味がない。それも企業をあたかも「人格」 を持った存在であるかのようにみなしている。企業は人格ではないのだから「愛国心」とか「愛国的行動」を求めるべきではない。
○軍用契約や公的責任などを「自国(アメリカ)企業だけに限定する」の意味がない。
○自国の企業だからといって研究に補助金を出すことも筋ガット折らない。それが米国の競争力向上に結びつくことはない。実際、アメリカの各企業はインドや他の国に研究開発費を振り向け、それで利益を得ているのだ。
○政府の目標は「米国人」の競争力を強化することであり、「米国企業」の競争力を伸ばすことではない。企業は競争力を伸ばすためにグローバル化戦略を進めている。政府は、その中で競争力を維持できる「米国人」をどうやって増やすか考えよう。
○企業は「人格」ではないのだから訴訟の権利を持たせるべきではない。
○最後に大事な点として「人間」だけが民主的な意思決定プロセスに参加することを許されるべき。
○企業の政治活動と個人個人の「市民」の政治活動が「使えるカネの量」の差で不均衡が起きているのが現状である。こうした現状を改善しないといけない。
○たとえば企業は株主にロビー活動や政治的活動の説明を行い、株主の同意を求めないといけないようにすることができる。
○また、年間1000ドルの税額減免を納税者ひとりひとりに与え、その控除枠を使って自分の選ぶ政治活動団体に寄付することができるシステムなどを作っても良い。
(おわり)
原著「Supercapitalism」
http://www.amazon.co.jp/Supercapitalism-Robert-B-Reich/dp/1848310072/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=english-books&qid=1214879274&sr=8-2
日本語版「暴走する資本主義」
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492443517/250-0367643-3261815?SubscriptionId=1CR2KCSDNRVJY76AMX82
序章 パラドックス
○資本主義と民主主義は別のシステムだ(もちろん資本主義をやるためには民主主義のほうがいい)
○民主主義とは「社会全体の利益に繋がる仕組みやルールを市井の人が協力して決めていくシステム」のことだ
○1970年代以前の資本主義は今の資本主義とは大分違っていた(第一章)
○資本主義は1970年代以降変化し、企業の競争力が増大し効率化・グローバル化が進行した超資本主義になった(第二章)
○その過程で我々は「消費者」「投資家」としての力を大きく伸ばしてきたけど、「市民」として公共のルールやトレードオフを決める力をかなり奪われてる(第三章)
○つまり資本主義が超資本主義に変化していく中で、民主主義の力が弱まってしまった(第四章)
○昔に比べて政治家が極端にあくどくなってるとか、企業家達が極端に強欲になってるというわけではない。彼らの周りの環境が変わってることが大きい(第四章)
○企業に社会的責任を求めるだけでは問題は解決しない(第五章)
○「企業」という実体のない契約書の束ではなく、生身の存在である「我々自身」が主体的に物事を決めるべき。「消費者」「投資家」としての価値観だけではなく、「市民」としての価値観で社会や経済のルールを決めていかなきゃいけない(第六章)
○そのためにうつことができる手はは色々あるけど、それはみんなが思ってるものと大分違う。(第六章)
第一章 「黄金時代」のようなもの
○1970年代まで、アメリカは「民主的資本主義」と呼ぶべき社会だった。
○大企業が大量生産でモノを大量に売り、生産性を飛躍的に向上させた時代だった。
○同じ産業同士で陰に日向に協調したので競争は激化せず、価格を下げなくてもよくて収益が高かった。
○労働者はひとつの組合に組織されていたので、給料も福利厚生も「ひとまとめ」に決められていた。
○企業にとっても「ひとまとめ」で交渉できるのはラクだったので、労使間は結構うまくいっていた。
○主要サービスの価格は政府に規制されていて、競争は激化せず、価格を下げなくても収益が上がった。
○大企業の経営者には「企業に収益をもたらす」だけではなく、社会的責任を担う「企業ステーツマン」としての役割も求められた。
○このシステムの長所は数千万の安定した雇用と福利厚生が確保されていること、利益が広範に分配されること、それが支出に回って経済が安定すること。
○中間層・中流階級が増加した結果、政治的にも安定した。この時代は「黄金時代」であるかのように思える。
○しかし、それは見せ掛けに過ぎない。このシステムには短所もたくさんあった。
○まず競争を引き起こさず効率性が犠牲にされ、イノベーションもあまり起きないこと。
○それに、このシステムは機会均等という点でも問題があった。黒人、女性、貧困層などは不平等な扱いを受けており、システムの恩恵にあずかれなかった。
○日本やヨーロッパでもアメリカとは違うものの、似たシステムの社会が実現していた。
第二章 「超資本主義」への道
○冷戦時の軍事開発は様々な新技術を生み出した。その技術が民間で使用されるようになった時、資本主義は超資本主義へと変化し始めた。
○コンテナ、貨物船、光ファイバー、人工衛星、コンピューターは物資の輸送コスト、通信コストなどを大幅に引き下げ、他業種への参入障壁を押し下げた。
○これによって各業種に新規参入企業が増え、競争が一挙に激化した。
○金融規制緩和によって、投資信託やファンドが大規模化し、企業は株主に高収益を上げるように圧力を加えられるようになった。
○「民主的資本主義」は終わりを迎え、メインプレーヤーだった大企業、労組、政府などは力を失った。
○権力は消費者と投資家が力を握る「超資本主義」の時代がやってきた。
第三章 我々の中にある二面性
○私たち個人個人はより「お買い得な品物」を求める消費者であり、よりリターンの高い投資をしようとする投資家である。
○ウォルマートのような大手スーパーは、「消費者としての我々」の欲求を統合し、巨大なパワーを持つ企業となった。
○ウォルマートは「お買い得の品物を求める私たち」をバックにして値引きを要求し、コストを圧縮する。
○ウォール街や投資ファンドは「投資家としての我々」の欲求を統合し、巨大なパワーを持つようになった。
○年金基金や株式投資で「より高いリターンを求める私たち」をバックにして、企業に高収益を上げろ、コストを削減しろと要求する。
○企業は激しい競争に加えて、こうした「消費者・投資家」の圧力を常に受けている。
○結果として企業はそれまで担っていた福利厚生・雇用・賃金などを切り詰めていくことになった。
○「市民」としての私たちは「ひとりひとりの福利厚生・雇用は大事」と思うが、「消費者・投資家」としての私達はそれと逆のことを企業にするよう圧力をかける。
○だからといってひとりひとりが「市民的価値観と相反する消費・投資から手を引く」というのは不可能だろう。
○それよりも「市民」として持っている価値観を守るための社会的ルール・規則を作っていくほうがよい。
○労働法、有価証券取引税、最低賃金保証、健康保険など様々なルール・規則があり得る。
○「消費者・投資家」としての幸せだけではなく「市民」としての幸せも実現できる社会は、こうしたルールをどう決めるかによって違ってくる。
第四章 飲み込まれる民主主義
○「消費者・投資家」としての我々の発言権や権益が企業やファンドによって拡大していったことに比べると、「市民」としての私達の声はどんどん縮小してる。
○これは超資本主義の下で企業が合理的な行動をした結果起きていること。企業は競争に優位に立つために、お金を集めてロビイストに払って政治に働きかける。
○超資本主義の下で競争が激しくなり、株主・顧客の要求が高まれば高まるほど、企業は政治へのロビー活動にお金をかけるようになり、その金額は拡大の一途。給料が高いので議員経験者・元政府職員などはこぞってロビイストになり、効果的な働きをする。
○政策決定には、こうした企業・産業団体の影響が色濃く反映されることになる。「専門家」と呼ばれる人たちも、こうした企業・産業団体の影響の下で政策提言を行う場合が多い。メディアも顧客企業寄りの広報専門家の言うことをそのまま流したりする。
○ロビー活動の世界も競争が激化したため、参入するのにお金がかかるようになってしまった。政治的争いに参加するにはカネが必要であり、NGOだとか市民団体ごときではとてもではないが、企業や産業団体のようなカネをかけたロビー活動に太刀打ちできない。
○同じ理屈で労働組合の政治的影響力も低下している。議員達を動かすロビー活動にカネがかかるようになった結果、労働組合は労働問題に直接関係する問題以外に影響力を保持できなくなってしまった。
○無論、ある問題については大規模に報道がなされ「市民の怒り」が火を噴き、大きな世論が生れる、ということがある。しかし、そうした場合も実は「パ フォーマンス」的な解決劇が行われて、実質的には企業の利益に反さないような調整がしっかり行われるのが常。公聴会で議員が社会的な問題を起こした企業を 激しい言葉で叱責する様子とかがテレビで流れたりするけど、その後に議会で何が決まったかちゃんとチェックしてみると実はなんにもしてない、なんてことが よくある。
○そのため「市民」としての私たちが「社会的平等」だとか「公平さ」とかを求めようとしても、政治を動かすのはかなり難しくなってるのが現状。
○「消費者・投資家」としての私たちには、ちゃんとした代表がいる(大企業・ファンド)んだけど、「市民」としての私達の代表は実質的にいなくなってし まってる。議員はいるけど、ロビー活動資金の高騰・ロビイスト達の活動の活発化で、彼らは「市民」としての私たちを代表する存在ではなくなっている。
○これは別に現状を正当化したり非難したりしているわけではなく「現状を説明」しているだけ。私達の民主主義は、超資本主義に飲み込まれて現状ではこうしたものになってしまっている。同じ傾向は他の国でも見られる。
○私たち自身の選択によって現状の「民主主義」のあり方も変えていくことができるのも事実。
第五章 民主主義とCSR
○CSR(企業の社会的責任)は結構なことだけど、そもそもな部分でおかしい。
○企業は「責任」というけれど「企業の社会的責任」を定義した法律や規則に基づいたもので動いているわけではない。
○投資家や消費者が「社会的責任を果たさない企業」にカネを出さなくなるだろ、というけれど現実にはそうした行動は一時的なものに終わることが多い。
○第四章で述べたように企業はCSRといいつつも、「公共の利益」よりも、自分達が競争で優位に立つことができる法律・規則・規制をロビー活動で実現させている。
○CSRの考え方は、こうした企業の矛盾した行動から目をそらさせてしまう。大切なのは我々が決めることのできないCSRの規定ではなく、我々の決めることができるはずの「公共の利益」に基づいた法律・規則が制定されることだ。
○CSRは、超資本主義の下で我々の「民主主義」が第四章のような形に変質していることから目を逸らさせてしまう。
○それにCSRは企業が「道徳的に振舞う主体」として「個人」と同じものであるかのように認識させる点でもよろしくない。「企業」は「個人」とはそもそも 違う。「企業」が「責任を果たす」という表現は、企業があたかも「個人」であるかのように思わせるが、それは見せ掛けにすぎない。
第六章 超資本主義への処方箋
○斯様な現状下で、どのように「民主主義」をより良い形に変化させることができるか、政策提言を行いたい。
○政策決定のシステムを改めるためには色々な方法がある。たとえば「要職の選挙には公的資金を活用する」「放送局が選挙広告を無料で流す(アメリカは候補 者のテレビCMに莫大なカネをかけるので)」「ロビイストが顧客企業から献金を集めるのを禁止する」「企業・経営幹部から議員への寄贈・接待の禁止」「議 員経験者が退任後5年間ロビー活動をするのを禁止」「ロビイストの活動収支公開」「公聴会で発言する専門家は利害関係者との金銭関係を公開」などなど。こ うした法律を、きちんと運用できるだけの監視も必要。
○ただし、こうした改革を実際に行う当事者が「ロビイストから金を貰ってる議員」だから、実際にやるのはかなり大変。
○とにかく民主主義のあらゆるところに「超資本主義」が侵入しているのが現状なので、「どこまで侵入できるか」をもっときちんと決めてルールにしよう。
○企業だって際限なくカネを政治家に渡したいわけではないから、こうしたルール設定はある程度歓迎してくれる。企業間の献金競争・ロビー活動競争の「休戦協定」を作らせるのが大事。
○あと、改革を行うためには「現行制度のどこが問題か」をみんながきちんと理解することができることが必要。
○問題が起きた時に現行の法律・規制がどうなっているのかを考えられるようにしよう。企業の失敗をやたらと攻撃する政治家・運動家や、「我々は社会的責任 を果たしてる」と盛んにアピールする企業や、ロビイストの理屈なんかを安易に信じてはいけない。メディアも、きちんと「何が問題点か」を明確に知らせるべ き。
○そして特に強調すべきこととして「企業は人ではない」ということを認識しよう。企業というのは法的擬制であり、契約書の束以外の何物でもない。企業は、 「契約書の束」異常の発言の自由、法の適正手続き、政治的な権利を持つべきではない。そういったものを持つのは「生身の人間」である。
○企業を「擬人化」し、あたかも一個の「人格」であるかのように捉える考え方は一般的に見られる。その結果、間違った義務・権利が企業に求められてしまう。
○たとえば法人税。法人税は企業をひとつの「個人」であるかのように見て税をとっている。そのせいで企業側も「民主主義のプロセスに企業は参加できる」と考えてしまう。しかし、税金を払ってるのは実際は「企業」ではなく消費者や株主や従業員ではないか。
○というわけで、法人税は非効率的で公正なものではないのでやめたほうがいい。「生身の人間」から効率的・公正に税金を取る方法があるはず。
○たとえば、法人税を廃止し、企業が株主を代表して獲得した収益全体についてそれぞれ株主が個人所得として税金を払う、といった方法がありえる。
○これによって全ての「法人所得」は「個人所得」として扱われる。
○また、企業が不正をした時に「企業体が刑事責任を問われる」というのもおかしい。企業があたかも「人格」を持って悪事を働いたかのようにみなすことになるわけで、実際はそんなことはない。
○アメリカに本社を構える企業が海外に労働力を求めたり、収益を他国に預けることを批判したり罰したりするのも意味がない。それも企業をあたかも「人格」 を持った存在であるかのようにみなしている。企業は人格ではないのだから「愛国心」とか「愛国的行動」を求めるべきではない。
○軍用契約や公的責任などを「自国(アメリカ)企業だけに限定する」の意味がない。
○自国の企業だからといって研究に補助金を出すことも筋ガット折らない。それが米国の競争力向上に結びつくことはない。実際、アメリカの各企業はインドや他の国に研究開発費を振り向け、それで利益を得ているのだ。
○政府の目標は「米国人」の競争力を強化することであり、「米国企業」の競争力を伸ばすことではない。企業は競争力を伸ばすためにグローバル化戦略を進めている。政府は、その中で競争力を維持できる「米国人」をどうやって増やすか考えよう。
○企業は「人格」ではないのだから訴訟の権利を持たせるべきではない。
○最後に大事な点として「人間」だけが民主的な意思決定プロセスに参加することを許されるべき。
○企業の政治活動と個人個人の「市民」の政治活動が「使えるカネの量」の差で不均衡が起きているのが現状である。こうした現状を改善しないといけない。
○たとえば企業は株主にロビー活動や政治的活動の説明を行い、株主の同意を求めないといけないようにすることができる。
○また、年間1000ドルの税額減免を納税者ひとりひとりに与え、その控除枠を使って自分の選ぶ政治活動団体に寄付することができるシステムなどを作っても良い。
(おわり)
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